デジタルマーケティング支援サービスサイトへ
LINE 友だち追加
デザインアイコン
移住・定住アイコン
奈良県外アイコン

SHIGAgrapherが発信する湖西の暮らし

デザインバナー
移住・定住バナー
奈良県外バナー

山崎 純敬

山崎 純敬

2023年下期、立教大学で行われた「観光DX人材育成講座」に参加しました。その一連の講義の中で最も印象的だったのが、今回取材したプロカメラマンの山崎 純敬(やまざき よしのり)さんの話でした。
「デジタル撮影技術の活用」という講義タイトルからは想像もつかない「観光地の日常は、つねに観光客の非日常」、「投稿の量が投稿の質をつくる」といった地域ブランディングのキーワードが次々とびだしてくるエキサイティングな内容でした。

それもそのはず、山崎さんが撮影だけでなく編集長をつとめた滋賀県の湖西地域マガジンは、「日本地域情報コンテンツ大賞」を複数部門で受賞しています。またPRムービー撮影など、滋賀県以外の地域ブランディングのコンテンツ制作でも高い評価を受けています。これはぜひもっと話をお聴きしたいと、山崎さんの地元、大津市北部の活動拠点「蓬莱の家」にうかがいました。

(当記事の写真は、特に注釈があるものを除き、山崎さんからご提供いただいています。)

CONTENTS

地元の成安造形大学で写真を学びSHIGAgrapherになる

──

ここ、滋賀県を中心にご活躍されていますが、お生まれも滋賀県ですか。

生まれたのは母親の地元である福井県で、育ったのは滋賀県栗東市(りっとうし)です。 大学が、大津市にある成安造形大学です。そこで写真を学びました。琵琶湖の西側、湖西(こせい)の地域が好きで、妻も湖西の人間で、この地域でいろいろ活動したいということもあり、大津市に住んでいます。

──

写真家を目指されたのは、どういう理由ですか。

小学校ぐらいからずっと絵が好きで、高校の頃には美術系の大学に進んで、絵を描くことで芸術家になりたいっていう漠然とした思いはありました。

油絵の専攻などで大学は受験しましたが、現役では受かりませんでした。浪人のときに、当時の滋賀近代美術館(現在の滋賀県立美術館)で、シンディ・シャーマンという写真家の大きな展覧会が開催されていました。
それまで写真は、雑誌や新聞に掲載されている報道写真や、ファッション的なものしか知らなかったのですが、そこに展示してある写真を見たときに、絵を描くことだけではなく写真でもアート作品ができるんだな、と初めて気づきました。自分も写真で作品を作りたいと思ったのが写真家を目指したきっかけです。それまでカメラを触ったこともありませんでした。彼女の作品に出会ったことがきっかけで、受験する科を変えて写真ができる大学を探し始めました。

30年近く前ですが、その頃はフィルム全盛期で、シンディ・シャーマンが美術館の壁一面になるようなぐらいの大きな作品を作っていました。そんな大きな作品を見たのも初めてで、こんな作品をつくりたいと思ったときに、日本でも当時数台ぐらいしかなかった大伸ばしをする機械が成安造形大学にあることを知りました。近いのもあったし、そういう環境が整っているというので、もうそこ一択で受験して合格することができました。

──

美術系の大学を出ても、芸術職につかなかったり、サラリーマンになったりする方もいらっしゃいますが、どのようにプロカメラマンのキャリアを始められたのですか。

自分は写真家になるのが夢でもあったし、続けたかったので、大学関係の機関に残って、教授のアシスタントのようなこともしながら、写真の専門職として活動していました。

そこで4、5年ぐらい働いた後、友人の紹介でとあるフォトグラファーとの出会いがありました。大阪で新たな構想の写真スタジオを立ち上げるという話で、その会社に社員として入社しました。諸事情がありそこは短期間で退社することになり、その後にフリーランスの活動を始めました。
ただ、全くコネクションもないし、実績もなく、結婚して娘もできて間もない頃に、路頭に迷ってしまうような状況になってしまいました。そんなときに、滋賀県でフリーペーパーをつくっている会社に、リニューアルのタイミングで入社することができました。

──

滋賀県での活動が始まりました。

フリーペーパーの仕事では、撮影の仕事だけではなく、地元の情報をいろいろなかたちで編集して読者に届けるような仕事を6年ぐらいしました。
それまで滋賀は住んでいるだけだったのが、地域のパン屋さんの特集をしたり、絶景スポットをまとめたりといった仕事の中で詳しくなっていきました。そのうち、撮影と兼務で、興味もあった編集の仕事にもたずさわるようになりました。

その会社はどちらかと言えば、クリエイティブ寄りの会社だったのですが、広告をとってくる営業とクリエイティブのスタッフの思考が真逆でした。営業は数字だけを、クリエイティブは、ある意味、見た目だけを追いかけるみたいなところがありました。
それまで営業のことは全くわかりませんでしたが、営業とクリエイティブの軸がそろわないといいものができないし、伝える情報としての完成度も低いと思い、営業と一緒に企画を考えるような機会を増やしました。クリエイティブ寄りの「面白かったらいい」だけではなく、ある特集をすることで営業も稼げるようになるといった、そこで初めてフリーペーパーの在り方の根幹に関わるような発想もするようになりました。

──

編集長的な仕事の発想にもなってきたということですね。

はい、会社ではそのようなポジションを任されていたわけではなかったのですが、そういう考え方になってきました。また、会社は、営業の数字を上げて単に枠を売って売り上げを増やす方向性が強く、クライアントが出したい情報とは全く真逆なものになっていると感じることも結構ありました。クライアントが出したい情報を、広告や編集の中に入れることで反応があったりしたときに、結局、クライアントが抱えている課題に一社ずつ向き合って、テンプレートの制限のある枠のなかでいかに工夫して、一社のオリジナリティの思考をかたちにすることが一番大事だと思うようになりました。

それまで年間数十か所、数百か所の取材で滋賀県の美しい風景を知って、さまざまな人と会って、それをストレートに伝えるようなポジションになりたいと強く考えるようになりました。それで独立して、滋賀県の魅力を伝える写真家として”SHIGAgrapher”を名乗って活動することに決めました。

湖西地域マガジンで「日本地域情報コンテンツ大賞」複数部門受賞

──

”SHIGAgrapher”として、どのように活動をされていたのですか。

独立して、単純に滋賀県の美しい風景を撮影して伝える、ということだけでは、写真家からの視点だけでは弱く、メッセージが一方通行になってしまうと思いました。フリーペーパーの制作で、地道にいろいろな企業の考え方を誌面で伝える、ということを何百回と経験していたので、撮影をメインミッションとしながら、滋賀県の情報発信につながるような撮影の仕事と並行して、衣食住に関わるクライアントワークも続けました。

7年ぐらい活動して、コロナ禍の寸前の時期に、今も続いている「シガーシガ」の出会いがありました。

シガーシガ(一般社団法人シガーシガ)

写真家、美術家、福祉家、建築家の4人 + α だからできるローカルなエリアでの小さな経済活動を続けている。仕組みづくりと発信のためのプロジェクト。

2019年12月に、京都の一棟貸の宿の撮影依頼で知り合った会社の忘年会で、シガーシガメンバーのひとりの建築家である岡山さんと出会いました。
彼は京都出身で、結婚して子供の誕生をきっかけに落ち着いて暮らせるところを探して、滋賀県の旧志賀町エリアに移住をしていて、たまたま隣に座って「湖西(琵琶湖西部)ってめちゃくちゃいいですよね」という話題で大いに盛り上がりました。

岡山さんから「このエリアを盛り上げられることができないか、という集まりを2日後にやる予定なのですが来ますか」と誘われて急遽参加することになり、そこで後に「シガーシガ」となる4人のメンバーが集まりました。

そのときは「なにかの拠点をつくったり、施設管理のようなことができたら面白そう」という話になったのですが、その数ヶ月後に、具体的な活動が決まらぬままコロナ禍となってしまいました。

──

「SHIGAgrapher」と名乗られ、その後設立されたのも一般社団法人「シガーシガ」と、滋賀にこだわりのある名称です。

「シガーシガ」はギリシャ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味だそうです。この地域を表す言葉としても、しっくりくるんです。
「のんびり」ではなく「ゆっくり」。ニュアンスが伝わるかどうかですが、人間が主体的に「のんびり」しているというよりも、地域の時間軸が「ゆっくり」流れているから、それに人間の生活のリズムが合っていくような感じだと、僕自身は思っています。

──

今お話をうかがっている場所が、「蓬莱の家」の日当たりの良いデッキです。琵琶湖が目の前の一軒家で、畑もあり、とても開放的な雰囲気です。この施設を中心に活動を始めたのですか?

はい。ここは障害がある方の就労支援のための福祉施設で、「シガーシガ」のメンバーの西さんが所長です。

2019年の時点では、施設自体はあったのですが、このデッキも畑もなくて、施設のまわりはただの荒れ地でした。それが、緊急事態宣言が出たときに、地主の方がまわりの土地も貸してくれることになり、「なにかできないだろうか」っていう話になったんです。

いろいろ考えた結果、新たにここで野菜作りをしてみようと、数ヶ月かけて土地を開墾して、シェアファーム(ボックス型の畑を一般に貸し出し)のかたちに仕上げました。ここを拠点に、人が集まれるきっかけをつくっていきたいな、というので月一で物販や飲食の出店者が集まる「マルシェ」をやろうということになりました。
この地域はお店も比較的少ないので、定期的に「あそこに行ったら誰かに会える」というような場所、日常的に立ち寄れる場所としての「マルシェ」です。

第1回の「マルシェ」は2020年7月で、滋賀県で初めてコロナ感染者が大津市で出たタイミングの次の日でした。開催するかギリギリまで悩みましたが、屋外でマスクを着けて、という形態で、300人を超える人が集まってくれて、かなりにぎわいました。そこから定期的に毎月第一日曜日に開催し、2024年1月で40回ほどになります。

──

湖西地域マガジンのようなメディアをつくる前に、場所づくりがあったのですね。

最初のマルシェの頃には、メディアもつくろう、という話は出ていました。当時、大津市の行政の若手の優秀な人たちが、まちづくりをするためにアクションしている人たちをピックアップして、それを伸ばそうという環境がありました。その流れで大津市の観光振興課の方とも繋がりができ、さらにはJR湖西線沿線地域の振興のための事業を行う「湖西線利便性向上プロジェクト推進協議会」にメディアの構想を提案し、2021年3月にウェブ媒体が仕上がるかたちで進んでいきました。

──

まずは冊子ではなくて、ウェブ媒体としてスタート。

「蓬莱の家」より少し北にかつて別荘地として開かれたエリアがいくつかあって、そのエリアや付近に移住してきた方々のライフスタイルが面白く、彼らの日常を掘り下げるかたちで取材することで、この地域の魅力が伝えらえるのではないか、と協議会に提案して、ウェブ媒体をつくりました。
翌年も、その協議会の事業を継続して、ウェブ媒体の更新は続けつつ、2022年2月に、紙の冊子として湖西地域マガジン「RE edit North Otsu」を発行しました。

──

ウェブ媒体と紙の冊子だと、受け取られ方が違うのでしょうか。

ウェブは、検索した人が見るもので、新たな人っていうよりも、既に知っている人が見る感じです。冊子は、もうちょっと思ってもない出会いというか、偶然、設置してある場所で手に取る人が出てきます。

──

冊子の「RE edit North Otsu」で、移住者の方々の暮らしを中心に構成されたのは、どういう意図だったのでしょう。

コロナ禍で、都会から離れた場所でのテレワークが進んで、「住む場所は都会よりもう少し落ち着いたところに行こう」という人が増えていました。マルシェにも、毎回、移住希望の方が、この地域のリサーチをするような感じで訪れるようになっていました。移住の相談を受けることもあったりして、「なんか湖西の地域面白そう」と思ってくれた人たちの情報になったらいいのではないかと考えました。
ただ、新たに移住者を呼び込むためにつくったというよりは、単純に、移住してきた人たちが「なぜここに暮らしたかったのか」取材することで、この土地の魅力が伝わるんじゃないかと思ったのです。

マルシェに来ていた移住希望の人たちにこの冊子を渡すと、この地域にどんな人がいるか、その人たちの暮らしが鮮やかに見えると、大変評判になりました。

取材した方にも好評で、表紙になった方が自分が掲載された嬉しさもあったと思いますが、自ら配布してくださったり、とても協力的でした。

──

結果として、日本各地のタウン誌やフリーペーパーを対象とした「日本地域情報コンテンツ大賞 2022」で、「内閣府地方創生推進事務局長賞」(自治体部門最優秀賞)、「隈研吾特別賞」(優秀賞)を見事受賞されました。この賞は狙っていたのでしょうか。

冊子をつくるにあたって、ベンチマークしている他の地域のタウン誌が、この賞の部門賞に選ばれているのを知りました。ECサイトで参考のために購入して読んでみたところ情報量の密度がすごかったのですが、自分ならもっとシンプルに地域の情報を伝えられるんじゃないかという思いもあり、もしかしたらつくったもので取れそうだという自信もあってチャレンジすることにしました。

──

確かに「RE edit North Otsu」は、居心地のいい暮らしをされてる方をシンプルに紹介されています。他に編集のポイントはありましたか。

エリアをあえて広げませんでした。「シガーシガ」の名前のもうひとつの由来にもなっているのですが、2006年に大津市に編入されるまで滋賀県志賀町であったエリアの中だけの情報に絞りました。

──

誌面のバラエティを出すために、エリアを広げたり、いろいろな要素を入れたくなりそうですが、そうはされなかった。

今あるほとんどのウェブ媒体がそうなんですが、コマーシャルの要素がどこかにあって、何か売り上げの数字を上げるため、クリックさせるため、のワンクッション前の段階の情報が羅列されているのが一般的になっています。
例えば、「良い暮らし」の情報でも、家を売るためだったり、インテリアを売るためだったりします。本当に「取材した方の暮らし」だけを届けて、その先に売りがない情報、誰かのなんでもない日常を読んで、何かを買わなくても自分の暮らし方のヒントになる情報が少ないなと思ったので、そういう媒体があってもいいんじゃないかと思いました。

──

そして見事受賞されたのですが、審査員の方はどのように評価されたのでしょうか。

オンライン授賞式で隈研吾さんがおっしゃってくれたのは「とても小さな地域の小さなサイクルを、かたちにしたのが面白い」。「小さな地域」に焦点を絞り、その地域で起きていることを丁寧に取材したことを評価してくださいました。
住んでいる人たちの職業や肩書きなどの先入観にとらわれない暮らしそのものが題材となっていることで、地域の自然の素晴らしさ、厳しさのコントラストをビジュアルで現わしたつもりであったので評価された内容は、その地域そのものを評価されたのだとすごく嬉しい気持ちになりました。

──

写真家の山崎さんが編集長をされているだけに、写真のクオリティもとても印象的です。なにか映画の一場面を切り取ってきたような印象を受けました。
「和邇(わに)漁港で手に入る湖魚たち」のイラストページも味がありますね。

実は滋賀県の人でも、琵琶湖で魚がとれることは知っていても、湖魚を生で食べたことがある人や、どんな固有種がいるのかを言える人は結構少ないです。そのような状況のなか、琵琶湖の漁師になりたくて滋賀の漁師にインターンしている大学生に出会いました。湖魚が大好きでかわいいイラストをたくさん描いていることを知り、湖魚を紹介するページのイラストを描いてくれないかとオファーしたところ、二つ返事で快諾してくれたので、このページができました。愛情深く湖魚を見ているから、とても可愛いですよね。

地域ブランディングは「質」より「量」の時代に

──

現在、滋賀以外でも京都市の観光PR映像など、数多くの地域のお仕事をされています。地域のブランディングにかかわられるときにご留意されていることはありますか。

まず、地域の魅力を伝えるときに「観光地での日常は滞在者にとってはつねに非日常」だということを意識することです。旅慣れたひとは、ネットで検索しても出てこない情報をもとめています。地域にとっての日常を掘りさげて、あらためて捉えなおすことで観光コンテンツを再編集し、旅行者にとっての非日常としてプレゼンするのが大事だと思っています。

また現在のあらゆる情報が動画で発信されている動画時代では、「質」の基準が変わります。表面上の美しさや綺麗さでは差が出にくくなっています。技術が未熟でも感情に訴える「エモさ」、らしさ=「オリジナル」の密度をあげて、質感となって伝わっていくものにしなければなりません。もちろんプロがつくりあげる「質」の高さの評価は一部残りますが、それよりも「量」や「継続」の方が信頼をつくりあげるのに重要になってきています。

情報のインフラが、個人のモバイル端末の中にインターネットを通じて揃っている時代です。そこでブランディングするというのは「個人の熱狂をひとりひとりに届けて、届いた人たちが『推し』となって、無条件にどうしても動いてしまうような状況をつくる」ことだと考えています。

──

写真家として「質」の高さを追求されているのと同時に、それだけではないブランディングについて独自の考え方を持たれているのが素晴らしいです。

ブランディングについては、一緒に仕事をしている方々との会話や、シガーシガの活動の中で感じたり、学んだりしたことですが、「推し」という言葉を使ったのは、身近で経験したことからです。

コロナ禍でいろいろと行動が制限されているときに、妻が韓国のアイドルグループの一人の「推し」になりました。それで何が起きたかというと、妻はそれまでスマホは持っていてもほとんど活用しておらず、インターネットで買い物もしたことがありませんでした。それが「推し」ができた途端に、ITリテラシーが日に日に向上して、Gmailのアカウントを開設し、ファンクラブに登録し、そこで売られるものを買ったりするようになりました。
観光とは実は別のことだったのですが、「推し」がいることでアクションをして購買に繋がったことが目の前で起きました。

──

韓国のコンテンツビジネスはマーケティング手法が洗練されていると聞きます。

とにかくスマホを通じて、「推し」の個人と毎日一緒にいるような感覚にする方程式のようなものがあります。動画のコンテンツや、個人からのSNS投稿を通じて、ダイレクトにファンにフェイス・トゥ・フェイスで毎日会っているような仕組みを垣間見たので、それがすごいと思いました。

──

ファンとの接点の「量」も膨大ということですね。

一定のリズムでその人のことが見れるだけで感情移入していけるのです。「質」という意味では、アイドル個人がどんなことを考えて活動しているかという「本音」が熱量となって「質」を上げているのですが、まず圧倒的な「量」があります。これには一長一短があり、熱狂があるぶん良い面にも、悪い面にも多大な影響を与えることは事実です。

──

クライアントワークに取り組まれるときにも参考になるのでしょうか。実際には、山崎さんは「質」の高いPRムービーをつくって、受賞されています。

はい、そうですね。なので、僕もそれで危機感を覚えて、クオリティの高いものを1発作ったからって何も響かないな、と思っています。もちろん観光のコンテンツを綺麗にまとめたり、美しさのようなものは必要なのですが、それまでに視聴される方との関係性がないと効果がありません。

ある地域の情報が、ある程度の人数に、定期的に積み上がっていたり、コミュニケーションが重なった部分に、PRムービーといったコンテンツがあると爆発的に機能するのですが、それまでの関係性がないところに、いきなりコンテンツを置いても人は動きません。
以前制作したムービーでも、賞は取ったけど再生数は3000ぐらいだったりするものもあります。逆にYouTubeである意味、質がそれほど高いとは思えない動画があっても、見る人が待ち構えていて、その人にとって意味のある動画になっていたら、1万、10万、100万、500万と回っていくのがインターネットの世界です。

大津市観光PR動画(「日本国際観光映像祭」2023年度受賞。リンクは本文後に記載)

──

仮にクライアントとして、ある市から「PRムービーをつくりたい」という話が来ました。それで今のような話をされて、「それでは、うちはまずなにをすればいいですか」と聞かれたら、どうご提案されますか。

その市の担当者が見た主観的な視点でもいいので、伝えたいことでコンテンツをつくって、毎日投稿とか、週何回は投稿するとか、継続して発信することが、最初だと思います。

──

熱量がないと毎日投稿できないでしょうから、ある視点があって、熱量があればいいのでしょうか。それはこのSNSを使わないといけない、という話ではなく。

はい、どのSNSでもいいのですが、継続してできるものです。発信している人がどんな人かわからず、情報として誰に対しても公平性のあるものって、誰にも届きません。

その人なりの視点とか、その人のキャラクターが見えるかたちで、ある一定の情報の塊をつくる。それを外部の方に監修してもらうかたちでもいいと思います。それを半年とか1年とか継続した先に、PRムービーのように綺麗にまとまったものがあれば、初めて届くと思います。
美しいものができたとしても、美しいものを見たいと思っている人の少なさに、気づいていない方が多いです。まず、見たいと思う人との関係性をつくる方が、おそらくなんでも成功するのではないでしょうか。関係性をつくるという意味では、リアルなイベントでもいいと思います。

──

それは湖西地域マガジンが成功する前に、「蓬莱の家」でのマルシェを毎月実施されていたのに似ているかもしれません。

そうです。マルシェがあったことで、冊子を置いたときに、マルシェにいらっしゃっていた移住されてきた人たちもそうだし、マルシェに注目していた人たちが冊子を読んだから、「自分ゴト」として情報を受け取る効果があったのかもしれません。また、毎月のマルシェで地域の人たちと情報交換できる仕組みがあったから、自分たちにも冊子をつくる上で、いろんな情報やアイデアがもらえたりとか、取材先が生まれたりしていました。

本来、行政には日常的に、そういった地域住民とのコミュニケーションをする機能があって、その中で例えば観光コンテンツをつくるときにも、アイデアが生まれてくるものだと思います。
ですから、コンテンツの核となる情報があるはずのところで、ないものを作ろうとしすぎというか、循環している情報に注目せずに一発逆転しようとしすぎなのかもしれません。日々の住民の情報のサイクルにもっと注目したり、住民が無意識で行動してることや、その場で起こってることに、もう少し外から目線、外から見た時の「非日常」にあらためて注目したら、価値のあるコンテンツとして表現できるんじゃないかなと思います。

──

これからも山崎さんがつくる滋賀や、広く日本や日本の各地域をテーマにしたコンテンツを楽しみにしています。

京都市観光PR映像(リンクは本文後に記載)

山崎 純敬

山崎 純敬(やまざき よしのり)

1977年 滋賀県生まれ。
自らをSHIGAgrapherと名乗り、「滋賀の人と 食と 住と」をテーマに人の気配のするナチュラルなイメージをつくることが得意。近年では動画制作にも力を入れ、主にインバウンド向けに観光PR動画や企業VPなども手掛けている。グローバルへ発信する国内外のメディアや企業から日本のイメージを訴求する仕事が近年増えている。
2020年より湖西で出会った建築家・美術家・福祉家・写真家の4人で一般社団法人シガーシガを結成。湖西地域に滞在する時間を増やすため小さな経済圏を生み出すように日常的に様々な活動を行っている。

LINE公式アカウント

お気軽にLINEの友だちに追加ください。
ただいま友だち追加の限定特典として「ナララボ編集長のここだけで聴ける音声配信」をお届けしています。

LINE 友だち追加

^