VR体験で奈良観光の未来へ走る
浅井 達哉
奈良観光の王道である奈良交通の「定期観光バス」。「東大寺・春日大社・興福寺」という奈良公園周辺の定番の観光地をまわるコースと、9月9日に世界遺産の国内推薦候補に選ばれ注目が集まる「飛鳥エリア」をめぐるコースでは、奈良交通が制作したVR(バーチャル・リアリティ)の360度映像を体験することができます。
興福寺や飛鳥の魅力をより深く体感できる、このVR体験を担当した奈良交通株式会社 経営戦略室 地域連携推進グループ課長の浅井 達哉(あさい たつや)さんに、奈良交通でのキャリアから、VR企画の経緯、目指す奈良観光の未来について、お話をうかがいました。
奈良を観光するための"足"を確保するプレッシャー
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新卒で奈良交通にご入社されてから19年勤務されていますが、お生まれは奈良県ではなく、大阪府八尾市だと、プロフィールをうかがいました。
はい。八尾市で生まれて、今でも八尾市から通勤しています。
元々「まちづくりをしたい」という思いがあり、社会問題の解決策を研究する政策科学や環境に重きをおいたまちづくりなどの環境学を学ぶために、京都の大学で4年間を過ごしました。
大学のゼミ活動のクラスのテーマが「奈良研究」で、自分の担当になったのが「奈良の観光」でした。これはたまたま選ばれたテーマでした。
そのときに奈良交通の存在も知ったのですが、就職活動のときに同じゼミの友人から「奈良交通を受けてみたら」と勧められたのが、就職のきっかけで、2006年に入社しました。
入社後は、高速バスの新規開業路線の営業面でのサポートから始まり、3年目からは、県内のいろいろな観光地に行く路線バスの運行計画の策定などの業務に携わりました。そのうち、2010年に「平城遷都1300年祭」という、大きなイベントに関わることになりました。
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2010年は「なんと(710)大きな平城京」と、都が平城京にうつってから1300年の記念すべき年でした。
来場されたお客様を、周辺の観光地へ周遊していただくための臨時バスの運行計画などに関わりました。
その後、営業所で運行管理者として働き、2013年からは観光バスの営業の仕事につきました。旅行会社に通って、修学旅行や一般向けのバスツアーを受注してくるものです。2018年からは受注してきた貸切バスを配車する業務にうつり、2021年に路線バスの部署に戻り、現在まで定期観光バスの企画や運行計画の仕事にたずさわりました。
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本当にさまざまな業務を担当されてきた中で、一番苦労した仕事をあげるとしたら、なんでしょうか。
「1300年祭」でしょうか。国内外からのたくさんのお客様が奈良を観光するための"足"を確保するということにプレッシャーを感じていました。「どうすれば、この方々が満足して奈良を観光してもらえるだろう」と日々考えぬいた時間でした。
復元され「平城遷都1300年祭」が実施された平城宮跡歴史公園「朱雀門」
コロナ禍で奈良交通オリジナルのVR体験を開発
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先日、東大寺・春日大社・興福寺という奈良観光の定番をまわる定期観光バスに乗車しました。その中で、乗客約20名が同時にVR(バーチャル・リアリティ)体験ができるという仕掛けに驚きました。(以下、VR体験の内容のネタバレを含みます。)
興福寺の駐車場に到着したタイミングで、バスガイドの方が座席にいる乗客ひとりひとりにVR専用機器のHMD(ヘッドマウンドディスプレイ。頭に装着するゴーグルのような形態)が配られます。
HMDを装着すると、最初は駐車場に停車中のバス車内の映像が映っていますが、気がつくと上空高く舞い上がり、興福寺の伽藍(がらん)の全景を見下ろしています。そのうち、奈良のシンボルともいえる五重塔に接近したり、非公開の内部の貴重な仏像群が見られたりと、日頃見ることのできない角度からの360度映像に興奮しました。
VR映像「奈良公園編」より興福寺五重塔
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このVR体験を開発されたのは、コロナ禍の期間だったと聞きました。定期観光バスや貸切バスの利用者が減り、大変な時期だったかと思います。
はい。コロナ禍の始まった2020年当時は貸切バスの部署にいたのですが、バスの配車の仕事が一切なくなり、これがいつまで続くのかと不安を抱えていました。ただ、修学旅行などは、実施よりかなり前のタイミングで予約が入ってくるので、その旅行が実現することを願って、心が折れないように緊張感をもって業務を続けていました。
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学校も含めてお客様が一斉に旅行を自粛するという状況の中で、どのような対応をされていたのでしょうか。
一例として、2021年には、外出を控える中でも奈良に愛着をもっていただける方々に、実際に奈良に行かなくても、オンライン映像で名産品の生産現場を見たり、生産者の生の声を聴いたりすることができる「オンラインバスツアー」をご提供しました。同じ地域連携推進グループの杉本(杉本 重人課長)が企画したプランです。
応募されたお客様の手元に奈良の生産者がつくった「うまいもん詰め合わせセット」が届き、一緒に届くチケットのQRコードから配信映像をご覧いただける仕組みです。
「奈良食品株式会社」にて
新型コロナウイルスの流行による観光客の減少や、観光客の行動変容が続く中、奈良を訪れたお客様に、観光を通じて奈良をより満喫いただけるサービスの提供に向け検討していた中、NTTグループの方から、VR映像を活用した体験のご提案がありました。
2023年1月11日付 奈良交通株式会社・NTTビジネスソリューションズ株式会社 ニュースリリースより図引用
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お客様にとって、VR映像をご覧いただくメリットというのは、どんなところにあるのでしょうか。
奈良公園のVR映像では、奈良公園全体から興福寺の境内を、ドローンを使った上空から俯瞰の映像でご覧いただくことができます。その映像を、興福寺に到着したタイミングで、駐車場で見ることで、どこにどんな建物が建っているかという配置を把握することができます。バスを降りた後、お寺の境内を歩いてまわるときも、よりイメージがわきやすく、バスガイドの説明も理解しやすくなる効果があります。
また普段は入ることができない興福寺の五重塔の初層(1階部分)の仏像群の映像も、VRで観ることができます。
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確かに、参拝するときに五重塔の閉じた扉をただ眺めるのと、その中には貴重な仏像が存在していることを知って、映像で見てから五重塔を訪れるのとでは、印象が変わりそうです。
2024年9月現在、興福寺の五重塔は大規模な保存修理工事に入っていて、五重塔自体も仮設の建屋に覆われて外から見ることができません。
2022年のVR体験の企画時点では、興福寺の方々も、工事の前に五重塔を映像に残しておきたいという考えもあって、撮影にご協力いただけました。おかげで、建物自体が国宝である五重塔をドローンで撮影することができ、中空にある相輪(屋根の上にのっている金属製の構造物)の姿を間近で見るような貴重な映像体験が実現しました。
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実際に定期観光バスに乗車して、体験させていただいたのですが、目の前いっぱいに五重塔の雄姿がせまってきたときには、思わず声をあげてしまいました。VR機器をバスの乗客全員に同時に装着してもらって、映像を流すオペレーションも非常にスムーズでした。
バスガイドが手元の制御用のタブレットを操作して、Wi-Fi経由で複数のVR機器(HMD)に映像を送信しています。ガイドも操作にはすっかり慣れて、ご高齢のお客様などにも問題なく楽しんでいただいています。
NTT E×Cパートナー 奈良交通株式会社事例紹介ページより図引用
2023年には、奈良公園編に引き続き、飛鳥編のVR映像をご覧いただける定期観光バスツアーも開始しました。
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飛鳥編では、空撮による明日香村の水田の緑が広がっている光景がとても美しかったです。CGを活用した創建当時の飛鳥寺の姿や、石舞台古墳の建設の様子も見ることができました。
奈良公園編では、実際に目の前に興福寺の建物があるので、それをどのように撮影したら特別感が出るかということを考えて、鳥の目で撮影するプランを採用しました。
一方、飛鳥編の方は、今までのツアーだと、バスガイドが「昔、飛鳥にこんな都があって、その広さはこうで、こんな建物があった」と説明しても、既に建物などが失われている中、お客様は想像することしかできません。そこで、CGを使って、昔の都の姿を実際に見ることができる映像を制作しました。VRによって、まさに昔の都を直接訪問したような体験ができるというのが、飛鳥編での私のこだわりです。
VR映像「飛鳥編」より飛鳥寺復元CG
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これらのVR映像は補助金を活用して制作されたのでしょうか。
令和4年度「観光庁 地域一体となった観光地の再生・観光サービスの高付加価値化事業」、令和5年度「交通・観光連携型事業(地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値化)」に採択されて、費用の約50%の補助を受けています。
奈良観光の"足"として県内事業者と顧客とをつなぐ
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学生時代から奈良の観光にたずさわってきた浅井さんですが、今後はどのような奈良観光の未来を目指していきたいですか。
奈良というと神社仏閣が有名ですが、それ以外でも魅力的なところが多くあります。その魅力を掘り起こしていって、それをコンテンツ化していって、情報発信したり、体験として販売したりしていきたいと思っています。
コンテンツをつくるのは、その地域の事業者ですが、場合によっては、発信力が弱かったり、どう売っていけばよいかわからないところもあるかもしれません。一方で、奈良で今までにない体験をしてみたいと思っているお客様も多くいらっしゃいます。そういったお客様と地域のコンテンツをつなぐ役割をすることを、どんどん推し進めていきたいです。
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例えば奈良県や奈良市観光協会なども、そういった役割を担っているかと存じます。その中で奈良交通ならでは、という役割はどのようなところにあるのでしょうか。
魅力的な場所を訪れるにも、コンテンツを体験するにも、そこまで向かう交通手段の問題があります。
自家用車で行かれる方はいいのですが、そうでない方の"足"を提供するのは奈良交通でしかできないことです。「路線バスで行くなら、こういう行き方があります」、「定期観光バスで立ち寄ります」、「その時期であれば臨時バスが出ます」、「行くならこういう乗車券を買ったらお得です」ということを提案できる要素もあります。
これから高齢化で免許を返上する方が増えたり、インバウンドのお客様も増えていったりする中で、当社が奈良観光の"足"としてはたす役割は、ますます増えると考えています。
特別仕様観光バス「四神シリーズ」
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コンテンツについても、奈良交通ならではという企画を提案されています。例えば8月までの期間限定の定期観光バスのコースでは、法華寺・海龍王寺・不退寺という、知る人ぞ知る雰囲気のあるお寺を訪れるコースも提供していました。
定期観光バスは朝にJR奈良駅や近鉄奈良駅を出発するコースが多いのですが、このコースは15時台の出発で、海龍王寺・不退寺は通常の拝観時間終了後に、定期観光バスのお客様だけで貸し切って拝観できる特別なコースです。
海龍王寺では、国宝である五重小塔が安置されている西金堂の堂内に入り、間近で国宝を拝観することができました。
海龍王寺の石川住職は、イラストレーターのみうらじゅんさんから「イケ住(イケてる住職)」と呼ばれている方です。2022年頃、当時の上司とふたりで、「なにか特別なコースをつくりたい」と相談しに行ったときに、「西金堂の拝観」を御提案いただきました。
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それはすごいことですね。ご住職に直接相談しにいける距離感にあるということもそうですし、お寺が大事にされている国宝のあるお堂に入れていただけるというのも信頼関係ですね。
私たちもこちらから「国宝を見せていただきたい」というような言い方はしませんでした。「なにか追加で、できないでしょうか」とご相談したかたちです。「奈良という地元に根付き活動している奈良交通の、バスツアー参加者が増えることで、奈良全体がうるおうことになれば」と期待していただいたのだと思います。
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これからも浅井さんが提案される奈良の新しい観光コンテンツを、奈良交通のバスで体験できることを楽しみにしています。本日はありがとうございました。
浅井 達哉(あさい たつや)
奈良交通株式会社 経営戦略室 地域連携推進グループ 課長
1982年大阪府生まれ。2006年奈良交通入社。
観光地やイベント会場への臨時バスの企画や県内を周遊する定期観光バスのコースを造成、観光バスの営業・配車担当を経験し、2023年より現職。
趣味はサッカー観戦(主に奈良クラブ)と日本酒の酒蔵めぐり。
関連URL:
奈良交通株式会社
https://www.narakotsu.co.jp/
奈良交通 定期観光バス
https://www.narakotsu.co.jp/sightseeing-tour/sightseeing/
定期観光バス「VR体感コース」の拡大について
https://www.narakotsu.co.jp/news/sightseeing/3312/
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